【超古代文明!?】魅惑のモアイ像の謎に迫る!行ってみたいよイースター島!【前編】
どうも。日々ネットや雑誌で不思議発見!しながらニヤニヤ生きているスーパー陣平君です。基本的には「はらたいらに全部」というスタイルに憧れがあります。話がクイズ番組寄りに脱線していく可能性があるので、スパッと元に戻したいと思います。このエントリはモアイ像の謎に迫るエントリです。ぜひワクワクしましょう。
すべては謎に包まれている
モアイ像は何のために建てられたのか。製造工程はどのようになっていて、どんな人たちが製作したのでしょうか。古代文明が現代に残した巨石像はあまりにも魅力的です。
モアイ像の写真
まずは写真を見てみましょう。
ズラリと並ぶ巨石像モアイ。どこかノズタルジックな佇まいですね。
頭に「プカオ」と呼ばれる装飾のある像も。
陸部のモアイは顔だけではなく、胴体や下半身のあるものも数多く発見されています。
空を眺めているのか、遠くの陸地を見つめているのか。その姿は神秘性を帯びています。
考古学者たちは、約750年前〜500年前に先祖を祀る意味合いで作られたものではないかと推測しています。石のヒビ割れ、風化したコケなどが歴史を感じさせますよね。どことなく、天空の城のラピュタを想起させます。どことなく、ワンダと巨像を想起させます。どことなくICOを想起させます。どことなく、、、もういいか。
モアイ像のある島
モアイ像は絶海の孤島、イースター島に存在しています。国はチリ。一番近い有人島まで2000kmも離れているそうです。
正式名はパスクア島(パスクアとう、スペイン語: Isla de Pascua)と言い、"Pascua"はスペイン語で復活祭(イースター)を意味する。日本では英称由来の「イースター島」と呼ばれることが多い。
1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダ海軍提督のヤーコプ・ロッヘフェーンが、南太平洋上に浮かぶ小さな島を発見する。発見した日がイースターであったため、「イースター島」と呼ばれるようになったと言われている。
探検家ロッヘフェーン
ヤーコプ・ロッヘフェーンはモアイ像を語る上での重要人物の一人。イースター島の発見者であり、発見当時の島の様子、人口や島民の民族性を手記に残しています。モアイ像に祈りを捧げる島民の姿を見たり、宗教的儀式を目撃したり、モアイ像と島民の繋がりを公式に報告した唯一の人物です。なお、ロッヘフェーンは発見当初、オーストラリア大陸を目指していたら、偶然に島を発見したそう。
何のために作られたのか
個人的には遠い宇宙との交信だとか、未来人がナノレンズを仕込んでいたとかぶっ飛んだ説に期待してしまいますが、最有力説は「先祖の象徴説」「祭祀説」です。どちらにしても宗教的な説が色濃いと言えますね。
イースター島にはポリネシア人が移住した痕跡があり、これは学術的にも信憑性が高い情報です。そしてポリネシア人には以下の風習があったのです。
ポリネシア人にとって、偉大なる祖先は崇拝の対象であり、神格化された王や勇者達の霊を部族の守り神として祀る習慣があった。
現在でもポリネシア人系の分布がある国や島の文化には石や木を死者に見立てて、崇拝する風習があるとのこと。この風習もモアイ像の「先祖の象徴説」「祭祀説」と合致しています。発見者ロッヘフェーンも島民による石像への崇拝を目撃しているため、ほぼ間違いないでしょう。我々日本人の解釈でいくとお墓の形態違いといったところでしょうか。
誰が作ったのか
石器しかなかった時代に、あのような大きさの石で彫刻物ができたのか?これは可能とする説が多く、ほぼほぼ定着しています。ポリネシア系の人々は大柄で屈強な肉体があるので、パワー系の仕事は容易にこなせたことでしょう。モンゴロイドとオーストラロイドのハイブリット部族を軽視してはいけません。
しかもイースター島は凝灰岩が豊富であり、当時の石斧は黒曜石が主流でしたから、彫刻は十分可能だとする裏付けデータがあります。先祖や血筋を守り、神に祈りを捧げる目的があれば、実行に移すのも頷けます。我々日本人の先祖も大仏を建造したり、手の込んだ寺の建立に多くの力を注いだ事実がありますからね!
今では俗に言う工房、作業場といった意味合いの場所も発見されているそうです。噴火口付近には彫刻用のツールが数多く見つかったとのこと。ですから、島民によって作られたことに間違いはないでしょう。「宇宙人とか未来人、進撃の巨人的な人たちによるもの」個人的にはこっちの方向を期待していましたが!残念!
どのように運搬したのか
とりあえずデカイし重い。だって石ですもん。噴火口付近の製作所からどのように運搬したのか不思議ですよね。
大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する
引用元:モアイ - Wikipedia
これについては諸説ございます。ピラミッドほどの謎ではありません。木を並べてローラー状にしたもの、石を土台にしたものなど色々考えられます。現代の研究はだいぶ進められていて、島内の陸部にはモアイを運搬した道筋も確認されているそうです。集落の分布に沿って、各場所へと引きずられる形で運ばれたとされています。
モアイ像の完成までに2年〜3年の月日が必要だったそうですが、運搬途中に破損してしまったとみられる像もあるそうです。作業者からしたら悔しい想いだったでしょうね。バックアップもとれない代物なだけに、2年が一瞬でパー。あんまりだ。
面白い動画もあるので、下記のYouTubeリンクも御覧ください。みんなでモアイ像を歩かせて運んでいます。
Walking with Giants: How the Easter Island Moai Moved | Nat Geo Live
倒されていたモアイ像
発見者ロッヘフェーンの後、1774年にクック隊がイースター島に上陸した際、モアイ像の半数は倒れていたそうです。尚且つ、島にはモアイ像作りの動きも見られなかったとのこと。何が起きたのでしょうか?ちなみに下の画像はクック隊に属していた画家の絵になります。
その後1840年にはほぼすべてのモアイ像が倒れていたという記録があるそうです。本当に絶海の孤島とその島の人々に何が起きたのでしょうか?
次回は文明崩壊の謎に迫っていこうと思います。
今回はここまで!
おまけ
おまけコーナーです。
プカオありモアイ像は部族長
モアイ像には沢山の種類があります。モアイ像は1体だけ女性で、残りはすべて男性だそうです。(※諸説あり)中でも「プカオ」という頭の上に装飾があるものは、いわゆる部族長を象徴するモアイ像との見方が有力とのこと。
このモアイ像は儀式の際に祀られるものだそうで、儀式中はサンゴ質の石灰岩で作られた目をはめ込まれていたのだとか。ちなみにプカオは彫刻の一環ではなく、色のついた石をポンと置いているだけ。ポンって表現は違うか。
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